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相談員から一言 バックナンバー

『理念への模索』

 《はじめに》

 人生の途上で様々な出来ごとに遭遇します。そんな時、判断基準を持っているかどうかで向かう方向性が違ってきます。
 仕事をしていると毎日が責任を伴う判断の連続で、ブレない判断をするためには、きちんとした信念がないと自信を持って言えないと常日頃から思っていました。
 加えて、私は保健師ですが、産業看護の定義の中に「看護の理念に基づいて・・・」とあります。私の独断と偏見ですが、看護の理念を立体化して、質として考えてみると私には広大な宇宙の法則レベルに感じ、言葉で説明できる範囲を超えた崇高なエネルギーに思われるのです。なので、単に言葉だけで素通りしたくないと思い、この機会にフト立ち止まって思いを馳せてみました。
 理念に基づいて仕事をするからには、その前に人間性の問題をクリアする努力が必要なのではと思うのです。理念は普遍で事象を良き方向へと影響していくものだと理解しています。大変僭越なことを言ってしまいましたが、おゆるしを。
 
《良き影響を受けたエピソード》

 私は、両親から何かを教わったという記憶はなく、神主だった祖父から悪い事をしたらバチがあたる位しか覚えていません。もっぱら先人・哲人・偉人等の本や教師から人生の道標を掴み、その後諸々の出会いから学び肉付けをさせてもらいました。
 
*先ず、江戸時代後期の人、二宮尊徳です。
 中学時代、校長先生から銅像の薪を背負っている姿は仕事、読んでいる本は孔子の弟子・曾子が著した「大学」という論語、右足が一歩前に出しているのは学んだ事は仕事に生かすという意味だと力説して教えてくれました。その時初めて論語を知り、短くて難しい文字を子供が理解出来ることに感動して、その本が欲しくて親にねだりましたが、手に入りませんでした。中年になって論語・大学・中庸を買い、それなりに適当に素読をしています。尊徳は、小田原藩の600以上の村の財政再建・復興事業・組織改革を成功させた人です。改革の途上で精神的に行き詰まり失踪して成田山・新勝寺に行き、21日間断食をしながら「不動明王」の画像と対面しています。そして、エネルギーを得た尊徳は再び藩の再興に人生を捧げました。あの経営の神様・松下幸之助さんの考え方と実践は、尊徳から学んだということを何かの本で知りました。私は、学んだ事は実践に生かすことをモットーにしています。尊徳の生家は小田急沿線・栢山にあり小田原城の敷地内には二宮神社があり、海老名在住の私には近場なので何やら勝手に縁を感じています。
 
*次に、憧れの女性です。
 シェイクスピアの戯曲「ペリクリーズ」に出て来るマリーンという王妃。
 第4幕第6場からが胸打たれるシーンになります。過酷な運命の途上で、女郎屋に売られ、売春を強いられますが、求めて来る男性達に神聖なお説教をするのです。男性達はマリーンの言葉に感動・感激をして心を入れかえて帰っていくという、そのやりとりがとても勉強になりました。やがて、女郎屋を出ることが出来たマリーンは、その地で上流の子女に歌・踊り・裁縫等を教え、収入は全部女郎屋の主人にあげます。そして、お互いに死んだと思っていた王・王妃・王女マリーンは生きて再会するというハッピーエンドのストーリーを涙しながら何度読んだことか。後年、シェクスピアの生誕地・イギリスのストラスフォード・アポンエイボンへのツアーがあり最優先で行って来ました。生家で幼少時に使用していた木馬やハンモックを見て、タイムトンネルを通った気持ちになり感動しました。この時も勝手に縁を感じ・・・。
 
*次は、イギリスの外科医でもある探偵小説家 コナン ドイルの「シャーロック ホームズ」です。
 ホームズが犯人を捜しだしていくそのプロセスが、問診で病名や健康状態を判断していくのと似ていると思い、10冊以上は丁寧に読みました。その人の特徴を捉え、細かい部分も見逃さず推理していく様子は、コナン ドイルは本当に名医だったんだろうなと思います。観察力・直感力・行動力は見事で、自分にとってはとても参考になり、面談時等で役に立っていると実感しています。唯、人によっては同じパターンで面白くないの一言で終わったこともあります。
 
*最後に、上海万博で助けてくれたボランテアの学生さん。
 3年前、上海万博に行って来ました。堺屋太一さんのコンセプトで出展した日本産業館が見たくて行って来ました。堺屋太一さんは、通産省時代に昭和22から昭和24年に生まれた人達を「団塊の世代」と名付け、単行本を出しました。単に人口が増えたというだけではなく、共通の経験と性格を持ち、社会経済に重大な影響を与えると言う認識で書かれた内容です。人口数を「膨れ上がった世代」と表現した視点や、ものの見方の多様性を学びました。話を万博に戻します。会場はほとんど中国人で想像を絶する人出。私は一人で日本産業館へ。船とバスに乗って、やっと辿り着いたのにここでも人の波と長蛇の列。約束の集合時間に間に合わない と判断し見学はあきらめて、集合場所の中国館に戻りました。ところが、余りの人込みで仲間と会えず、愚かにもケイタイを忘れたので連絡もとれず一時途方に暮れました。その時、助けてくれたのがボランテアの交通大学の学生さんです。ユニクロの宣伝の俳優にソックリな彼は、日本語と英語のチャンポンで私を元気づけ、会える手段を真剣に色々講じてくれました。合間に中国の事を聞くので用紙に孔子の論語・曾子の大学・子思の中庸・辛亥革命を成功させた孫文を書き、少し知っていて、関心は深いことを話ました。
 一番大事に思っているのは「至誠」「恕」「格物致知」と書いたらニコニコして親近感の表情に。信じ難い事ですが、彼は中国館の職員出入り口から中へ入れてくれました。中で会えるかもの期待でしたが、館内は中国人でビッシリ、具合悪くなった人が座り込んだり、横になったりで私まで気分が悪くなりここでは会えないと判断し外に出ました。中では、車やアパレル関連の映像が流れていて少し観ることが出来ました。
 その後、救護センターに案内してくれ、ドクターらしき人がイスに座るように言ってくれましたが、ベットはなく地べたに横になっている人を見たら座る気にはなれずそこも出ました。彼の真心が痛いほどわかり、この経験は一生に一度あるかないかの出会いと思いました。
 そして、結局間違いなく会えるのは、中国館の見学者用出口と言う彼の言葉に従い、そこで待つことにしました。彼は現場に戻る時、「安心して下さい、必ず会えます」と。私は「あなたは恕の人」と用紙に書いて見せ、手を合わせて感謝の気持ちを表しさよならしました。後ろを振り返りながら戻って行く姿は、論語の中の人のようで、彼の中に尊い何かを感じ拝む気持になりました。
 間もなくグループに会えました。添乗員の気持ちを思うと本当に苦しかったです。
 上海に何をしに来たのか複雑な気持ちになりましたが、夕食の時、皆さんからの色々な言葉で頭の整理がつき、その席でも心の立派な方々に感謝でした。
 
《おわりに》

 上海から帰国して2ヶ月後、尖閣諸島事件が起き、中国人嫌いの人が増えたような気がします。
 私は、全ての事象に当てはまると思うのですが、陰陽の相対を実際に経験すると、偏りがちな物の見方が修正できる、この事もわかり大変勉強になりました。バランス感覚はこのような現実の中から身につくのかなとも思いました。学びはそこら中にあるのに気が付いていなかっただけかもと。
 「理念」も現実の中で生きてこそ、と思うのですがこれがまた難しいですね。
 
(文責)相談員  谷田 久美子
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