本文へ移動

相談員から一言 バックナンバー

『生きがい』

現代の文明社会において我々は、一体何を考えて生きているのか一人ひとり踏みとどまって考えてみることが必要ではないだろうか。
 
 物の豊かさに逆行するように自殺者が増えている。平成10年:32863 人を数えてから平成21年の32845 人まで12 年間3万人を連続して超えている。平成22年も3万人を超えているが異常としか言い様がない。

 ここで自殺の内容について分析するつもりは無いが、平成21年中における自殺の概要を見ると、その原因・動機として健康問題が約50パーセントと最も多く、次いで経済・生活問題が約25パーセントと言う結果が出ている。
 
 山田無文老師が善かれた 「真の生き甲斐一自分を忘れて自分を生かす」の一文を読ませて頂きましたが 「この世の中に、あなたがおってくれるから」と言ってくれる人が1人でもいてくれれば、これが生き甲斐である。と言っておられます。

 自分の存在に価値観を持ってくれる人が多ければ多いほど生き甲斐は大きくなるということでしょうか。
 
 生き甲斐には将来性が必要です。生きる目的、意味、価値があるということでしょう。

 人は生き甲斐を外に求めようとしますが、現在自分が持っていることの中から生き甲斐を感じることが必要だと言っています。
 自分の生き甲斐は何だろうか、ふと立ち止まって考えてみることも大事です。

 自分の夢や目標を見つけること、小さな夢や、小さな目標でも良いのだと思います。

 生き甲斐を探す努力を持続させることが大切です。
 山上路夫氏作詞の 「ああ人生に涙あり」の一節に
 「人生楽ありゃ苦もあるさ、涙の後には虹も出る、
   歩いていくんだしっかりと、自分の道を踏みしめて、
    人生勇気が必要だ、くじけりゃ誰かがさきにゆく、
     後から来たのに追い越され、泣くのが嫌ならさあ歩け」

 一度きりしかない人生、後悔しないためにも、先ず 「何故苦しくとも生きればならぬのか」を考えてみることです。
 
 誰しもこの世にある限り、大きな苦悩を背負って生きています。「あれも欲しい、これも自分のものにしたい、自分の所有する世界、名誉等々」「自分の思い通りにならないとか」に執着することにより「苦」が生じ、苦悩が始まると言っています。
 
 苦しみの根源は 「自分」とか「自分の所有物」といった我欲を生み出す愚かさにある。と言う。所謂「欲」が達成されないとき苦悩が生じると言う。我執の心をなくして、何ものにもとらわれない平静で自由な境地を求めなければならない、と、お釈迦様は説かれています。

 私たち凡人はなかなかその境地に達することは難しいかもしれませんが、物事に集申して努力していくことが大事だと思います。
 花園大学の佐々木 閑 教授の 著 「日日足修行」のなかに 「苦悩」を感じ取る力が心を磨くのだ。
 「生の苦しみ」こそが智慧と慈愛を生み満足できる人生の大切な栄養分となるという釈迦の教えは、知っていてもらいたい。と述べています。
 
 去る6月25日 奈良薬師寺 国宝 東塔が今年から10年掛けて解体修現されることを聞き奈良に行って来ました。

 当日は炎天下の中でしたが、東塔大修理着工法要が行われたのに一般参加する機会を得ました。

 式典では天理大学雅楽部による振鉾 (えんぶ) が厳かに行われ、次いで歌舞伎役者の市川團十郎丈が奉納舞 「三番曳」を華麗にしてカ強く舞われたのには圧倒されました。

 村上大胤執事長による唄 管主 山田法胤老師による表白が力強い響き渡る声と共に参詣者を魅了しました。

 身も心も喜びで満たされたことが今でも思い出されます。
 東塔は歴史も古く718年飛鳥の地から移ってきて以来数度の修理を経て創建当時からの姿を留めている歴史ある建物であり、暫らくの聞見ることができないのは残念ですが、完成後を楽しみにしております。
 
 法相宗大本山薬師寺執事 松久保伽秀氏が "人生がうまくいかない苦悩の原因" について潮田さんとの対談の一文を読む機会がありました。「少欲知足」という教えが述べられています。

 それは小さな欲で暮らしつつ、自分の足りているところを知る、という意味です。と言っています。

 人は自分の足りていないところに注目してしまいがちですが、満ち足りているところに目を向けると、悲嘆にくれると言うことはないと諭しています。
 
 私たちは 「般若心経」の教えである"かたよらない心" "こだわりのない心" "とらわれない心" 「私だけ」とか 「自分だけ」 といった言葉に執看している限りなかなか幸せにはならないと諭しています。

 ものごとに執着しない心を養い日々精進したいものです。
 
(文責)相談員  白須 吉男
TOPへ戻る