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相談員から一言 バックナンバー

『心身を鍛える』

ここ数年自殺者が3万人を超え、減少の気配が見られないという。なぜこんなに自殺者が後を絶たないのか、政府の自殺総合対策大綱によるとその原因を倒産、失業、多重債務等の経済・生活問題の外、病気の悩み等の健康問題、家庭の状況、死生観等複雑な問題が関係していると言う。今、企業においてメンタルヘルス対策の重要性が認識され、管理職教育の一環としてメンタルヘルス対策への理解と部下に対する接しかたについて基礎的教育を行っているところが増えてきているように思う。この教育も専門家の先生をお呼びしての教育と社内での管理部門のトレーナーによるものと、外部機関での教育に参加するケースなど様々である。
 
 当センター においても、メンタルヘルス関係の相談件数が最も多く、企業において大きな課題となっていることが伺える。
 
 厚生労働省が公表している“職場における、心の健康づくり”~労働者の心の健康の保持増進のための~の中でメンタルヘルスケアの基本的な考え方が述べられている。
 
 第一に事業者は自らの事業場におけるメンタルヘルスケアを積極的に推進することを表明する。第二に衛生委員会等において十分調査審議を行い計画を策定する。第三に実施に当たって「四つのケア」が継続的かつ計画的に行われるよう教育研修情報提供を行う。第四に「四つのケア」を効率的に推進し職場復帰等の改善、メンタルヘルス不調への対応等職場復帰のための支援  等々である。
 
 ここで言う「四つのケア」は、「セルフケア」「ラインによるケア」「事業場内産業保健スタッフ等によるケア」および「事業場外資源によるケア」を言うが、もっとも難しいのは「セルフケア」ではないでしょうか。 予防の原則を考えるとき、どうしたら精神的ストレスから開放されて“健康“ な状態を保てるのかを真剣に考えることが重要であろう。
 
 もともと健康というのは、色々と定義されているが、語源は“健体康心“ということであり、身体を健やかにして心康し、この状態を常に保ちどのような場合であっても柔軟に対応できる精神力が重要な要素となると思う。
 
 セルフケアの一つの方法として坐禅の効用があります。私がお世話になっている禅寺でも最近若い人たちの体験入門者が目立ち、禅に対して興味を持ち、そして真剣に取り組んでみたいという、動機は色々あると思うが、先ず体験ということのようだ。
 
 さる7月に近くの小学校から6年生に坐禅を体験させたいので指導してほしいと禅寺に相談が持ち込まれた。 急なことであり寺の副住職から電話がありアシスタントとして一緒に行ってくれないかと要請があり同行することになった。
 
 この寺では以前から小学生の坐禅会を行っており、既に数校に坐禅指導の実績を持っている。恐らく小学生の坐禅体験など坐禅にならないのではと思い気乗りしなかったが、60名余の生徒が副住職の坐禅の基本について説明を聞く姿は真剣そのものであった。
 
 調身、調息、調心という坐禅の基本を学びながら実際に坐った姿は、足の組み方にぎこちなさはあったものの、それなりに美しく、警策を戴く姿も堂に入っていた。ほんのわずかな時間ではあったが、生徒は何かを掴んだと思う。
 
 坐禅で大切な「調身」は姿勢を整える。「調息」は呼吸を整える。そして「調心」は心を整える。この3つが一体になることです。足を組み、手を組み丹田(臍)を前に突き出して背骨をまっすぐに伸ばし、肩の力を抜いて足、腰。背骨、首、頭が一直線になるようにイメージして坐る。視線は1,2メートル先に落とす。この調身ができて次に呼吸を整えることになる。
 
 坐禅で一番大切な呼吸法は「吐く」ことを主にして「吸う」ことを従にする。下腹に力を入れ精神を集中させることにより吐くのをゆっくりと長くすることができる。吐くのと吸う比率を2対1位にするのがよいとされる。これが入息短、出息長の呼吸といわれるもので複式丹田呼吸法です。
 
 人体の諸器官は自分の力、意思で動かすことはほとんど出来ません。心臓、肝臓は、もとより人体をめぐる血液の流れもコントロールすることは出来ません。しかし、呼吸は意識的にコントロールすることが出来ます。自律神経に働きかけて心身を活性化させ安定させることが出来ると言われています。
 
 坐禅をしているとき、姿勢を正して呼吸を整えても、なかなか雑念が次から次へと沸いてきて心を集中させることが出来ません。 その雑念を取り去るのに有効な手段として「数息観」があります。息を吐きながら「ひとーつ」「ふたーつ」・・・「とうー」と数える。そして、又ゆっくり息を吐きながら「ひとーつ」に戻る。これを繰り返すことにより次第に雑念が収まり、静かに呼吸をすることが出来るようになります。身体爽快、心さわやか観を得ることが出来るでしょう。
 
 この状態を呼吸のままに心を照らして観るということから「隋息観」というようですがこれがまさしく調心であると言われています。
 
 坐禅は何かを求めて坐るものではなく、只ひたすら坐ることによって何かが見えてくるものだと思います。 「自分を見つめること」のできる方法ですので体験してみる価値は十分にあると思います。
 
 正しい呼吸法を身につけることによって、心が安定し、気(エネルギー)の元をもらい元気になることが出来、健康を取り戻し精神的に安定した生き方が出来るのではないでしょうか。
 
 ストレス社会の中で坐禅が若い人たちに受け入れられているのは喜ばしいことです。
 
 あなたも坐ってみませんか。
 
相談員 白須 吉男
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